「農薬」の文明論的評価に関する素朴な一考察
日上猛之祐(農業ジャーナリスト)
『ジベレリン』という植物成長調節剤があります。 ジベレリンは、もともと稲作の「馬鹿苗病」と関係があります。稲が馬鹿苗病の病原菌に感染すると草丈(くさたけ)が高く徒長し葉色が淡くなり、ひどい場合は枯死します。この病原菌の代謝産物から結晶として単離されたのがジベレリンです。今までに微生物や植物から単離し化学構造がはっきりしたジベレリンは62種あるといい、これらの中から作物の成長調節に有用なものが実用化されたのです。
例えば、ホウレンソウなどの長日植物の花芽形成を誘導したり、すでに花芽形成されたもの(シクラメンやプリムラなど)の開花を促進するのに使われます。
最も著名な用途は「種なしブドウ」を作るのにジベレリンが使われることです。これは花粉の代わりにジベレリンが作用して単為結実を誘起するものです。今では市販のデラウェア(ブドウの品種)はほとんど全部が「種なし」です。
種なし(正確にはホルモンで種ができないようにする)にするには、ブドウの開花前と開花後10日の2回果房をジベレリン液に浸します。デラウェア産地を持つ府県では、毎年、ジベレリン処理適期について農家に情報を提供しています。
ジベレリンそのものは、構造式が解明された段階で化学合成されていますが、これを「食の安全」上、どう位置づければよいのでしょうか。人間がデラウェアを食べる時には、ジベレリンは陰も形もなく、人体に全く影響はない状態になっています。「化学合成農薬だから」という理由で排斥するには、根拠は薄弱です。(ついでに言いますが、いま私たちが頭痛や腹痛などの時に服用する『医薬品』は、漢方薬などを除いてほとんどは化学合成によるものと思われます。医師の処方した化学合成医薬を拒否しない人が、化学合成されたというだけで農薬の使用を拒否するのは、いかにも大きな矛盾です。)
またジベレリンは、環境破壊に手を貸しているわけでもありません。強いていうなら「自然の摂理に反している」ことぐらいでしょうか。こういうと自然主義や自然農法からの反発があるかも知れません。
ある辞典では『文明』の解釈を「人知が進歩して、精神上物質上のあらゆる事物がととのい備わって生活が豊富で快適になり、野蛮な状態から遠ざかってゆく現象」としています。種なしブドウは正に近代文明の所産ですが、今後の人類社会としてどう評価すべきか、教条的な浅い解釈でなく、一人一人が考えるべきところから答えが見つかるかもしれません。私自身はブドウを食べる時に、「種なしでなければ」というような強い執着はありません。むしろジベレリン処理に要する「農家の労力」の方が気になります。向暑の時期に、ブドウ棚の下で、上を向いて(ブドウ作りは空を向いてやる作業が多く、眼を痛める農家が多い)2回もジベ処理するのは、かなりの手間です。こうした労力負担と、消費者の享受する「種なし」の利益が、相殺されるに匹敵しているのか。もしも「種なし」と「種あり」の売値が一緒なら、ブドウ農家はわざわざジベレリン処理するはずはないのです。そうだとするなら、農家にとっては両者の「価格差」にジベレリン処理当否のカギがあるわけです。しかし今やデラウェアに関する限りは、種なしが一般化、通常化しすぎて、種ありデラウェアを店頭で見ることはほとんど出来ないでしょう。農家が相当な労力を投入してジベレリン処理をしても、価格上の差別化のうまみがなくなっています。(現在は高級ブドウの巨峰やピオーネなどにもジベ処理が適用され「種なし」と「種あり」の両方が店頭に並んでいて、それなりの価格差もある)
こうした状況の下で「種なし」を文明論としてどう評価するか?
消費者にとって「種なし」は、口中で種を舌と歯で選別し種を吐き出す作業と、それに要する時間が省けはしますが、味覚にはほとんど影響はありません。人によっては「種を吐き出す作業自体が味覚を損なう」というかもしれませんが、それにしても人類全体にとっては、ごく小さな『食物の質的向上』であり、わずかな『文明の恩恵』でしかありません。
種なしブドウは、ブドウの生産量にはほとんど影響はなく(手間が掛かるので、少しは経営拡大の制限因子になるかもしれないが)、「食料の量的確保」の手段ではなく、「食料の質的向上」の手段と考えてよいでしょう。しかし「食べにくいほどの果実が農薬処理によって食べやすくなった」とか「うんと味が良くなった」というなら「質的向上」には大きな価値がありますが、ブドウの種なしは文化文明の所産には違いないけれども、種がちぢんで多少食べやすくなったという程度の「ごくささやかな質的向上」でしかないのです。
種なしにするために農家の労働量は増えており、これを「人類社会全体の収支」から見たとき果たしてペイするのか、と問われれば、そう簡単には首をタテに振れないのではないかと思うのです。この「種なしブドウ」は一つの例にしか過ぎませんが、それでもこのような色々な問題を含んでいるのです。
みなさんは、どう思われますか?