「ガイアの復讐」を読んで (書評)

「ガイアの復讐」を読んで (書評)

2007.03.26 大阪から公害をなくす会 芹沢芳郎

この「ガイアの復讐」で著者ラブロックが訴える焦点は二つある。一つは、過去30億年間地球上の生物の生命活動によって創りはぐくまれてきた地球の自己調節システム(これを著者は「ガイア」という生命体に譬える)が人間の活動によって破綻の危機に瀕し、対策はもうすでに手遅れの状態まで来ていることの訴えである。もう一つは緊急状態への対策として、化石燃料からの二酸化炭素排出をストップするめに、従来は危険な施設と受け止められてきた原子力発電を、かけがえのない手段として採用し強化すべきだという訴えである。

京都議定書の約束年を来年に控え、国の内外で、京都議定書で決められたCO2などの温室効果ガス削減目標をどのように達成するか、さらに京都議定書以後の国際的な目標を世界全体の参加でどのように決めるかなどの論議がはじまり、国際的、国内的な世論、政治課題として注目されるようになっている。この時期に上に述べた二つの訴えを行う「ガイアの復讐」が発行されることは、これからの地球環境を護る運動にとって大きな影響を与えることが考えられる。

そこで環境問題、原発問題に住民運動に関わってきた者の一人として上記二つの訴えを中心にこの著書の主張について考えてみることにした。
*(以下「 」内は「ガイアの復讐」からの引用である)

ガイアとは何か

「地球がマグマと出会う場所、つまり地下約160kmの深さからガイアは始まり、さらに海洋と空気を経て160km上空に進み、宇宙との境界にあたる熱い熱圏で終わる。ガイアは生物圏を含む活発な生理学的システムで、30億年以上の間、地球を生命が存在できる環境に維持してきた。私が生理学的システムと呼ぶのは、気候や化学物質を生命にとって快適な状態に調節しようとする無意識の目的が働いているように思われるからだ」(p.56)。
「読者諸氏は、私がガイアに『生きている地球』というメタファー(日本訳 隠喩)を使い続けていることにお気づきだろう。しかし地球が意識をもって生きている・・・という意味で私がこの言葉を使っているとは思わないでほしい。」「私は地球を動物になぞらえたら便利だということに気づいた。・・・それはあくまでもメタファー、つまり思考を助けるものにすぎなかった・・・」。(p.58)

「そう、少なくとも気候や化学反応を自己調節しているという程度には生きているとみなさなければ・・・人間が地球の最大の敵になってしまったことを理解する気にもなれないだろう。」(p.59)と述べ、そして「少なくともヨーロッパではガイアに対する理解が進み、2001年のアムステルダム会議において、1000人以上の代表者が調印した宣言には次のような一節があった。『地球システムは物理、化学、生物、人間という構成要素から成る単独の自己調節システムとして機能している』。」(p.71)とガイア説への理解が広まっていることを訴えている。

このように著者は、生物が住めるように環境を自己調節していると思われる地球システムをガイアと名付け、説明の便宜上生物に譬えたことを述べて、意識を持った生き物ではないと強調している。そして、理論的には「ガイア理論の完全な説明をしようと思うと、自己調節がどのように働いているかについての説明が必要になる。いろいろの意味でこれは難しいどころか不可能だ。生命、意識、ガイアと言った創発的な現象は、科学が因果関係を明らかにするために伝統的に使用している逐次言語での説明に馴染まない。」(p.85).「現在活動中の要素の集合の中から、自己調節という新たな特性が生まれて来る。」「ガイアにおける現象は、マジックのように複雑な量子物理学と同じくらい難解である。しかしだからといってそれらの存在を否定することにはならないのだ。」(p.88)と述べて、地球システムにおける自己調節機能の存在を確認し、それをガイアと呼んでいる。そして説明の便宜上使われた「生きているガイア」は、著書の中でついには復讐の主体に育っていくのである。但し著者は、肝心な部分になると「難解だ」「解らない事が多い」と論争をかわす。

地球の現状と今後の予測について
 
著者は、1989年に世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)によって設立された「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」について、「今後の気候やその予測について信頼すべき情報源となるのはIPCCだ」(p.102)と信頼の意向を表明している。しかし著者が引用する資料のデータはIPCCの枠を超えている。そしてそのような資料を基にして「われわれにしても、IPPCが予測しているとおり温度や水位が年々なだらかに上昇していくのではなく、思ってみなかった事態が突然不規則に起こるかも知れないと予測するくらいのことはできる」(p.104)とIPCCの予測への不満を示し、そのあと○気温が2,7℃上昇すればグリーンランド氷河は溶け続けて大部分が消失するだろう ○地球規模で温度が4℃上昇したら安定性を失った熱帯雨林は消失し低木帯や砂漠に変わる ○空気中からCO2を吸収する(ポンプダウン)海藻の機能はCO2濃度500ppmで停止する ○北極の浮氷の減少問題 ○産業活動から空気中に放出されるエアロゾル粒子の冷却作用と酸性雨対策の関わり ○気温の上昇によって大きな海洋コンベアベルトの流れが変化しヨーロッパの気温低下 ○貿易風、偏西風の変化 等々のさまざまな研究者の報告資料を挙げたうえで、「IPCCの第三次報告書には温暖化によってなだらかに上昇する温度が記されているが、これはあくまでも推定される平均的な変動に過ぎないということを繰り返し述べておきたい。

そこには洪水発生や大暴風雨など予期せぬ危機は反映されていないのだ。その一番の例は、2003年にヨーロッパで起きたいまだかってない猛暑だろう。このとき3万人以上が熱中症のために亡くなった」指摘する。そのうえで「覚悟しておくべきことは数多くあるが、CO2濃度が500ppmを超えたら(これは数年のうちに起こる可能性もありそうだが【原文】)気温はおそらく6℃から8℃高い温度になり新たな安定状態に入ることになるだろう。・・・もし人間が地球の残った生息地で耕作し、空気を汚染し続けるほど愚かなら最後の崩壊が起こるだろう。科学において確かなものは何もない。しかしガイア理論は、地球が示した証拠によってその正当性をしっかり裏づけられている。もし予想される不愉快な変化を避けるつもりでいるなら残された時間は少ない、とガイアは示唆している。」と結論づけている。

今年2月にIPCC第4次報告第1部会(気候変化の科学的基礎)報告がが公表された。その予測によれば、今後約100年間に、環境の保全と経済の発展が地球規模で両立する社会では約1.8℃(1.1~2.9℃)、化石エネルギー源を重視しつつ高い経済成長を実現する社会での気温上昇は約4℃(2.4~6.4℃)である。著者の地球環境の現状把握と将来予測との違いを見ていただきたい。この将来像への危機感、切迫感が著者の政策判断の根拠となっていると考えられる。そしてこの危機が生きているガイアのイメージと結びついて、自己調整機能が破壊されるまでの打撃を受けたガイアの怒りと復讐として受け止められるならば、危機感はさらに恐怖感を伴った緊迫したものになっていく。

「原子力発電は安全でクリーンなエネルギー源」と主張

著者は第一章で、「原子力は確実で安全で信頼できるエネルギー源として使える。命にかかわるほどの耐え難い猛暑や、世界のあらゆる沿岸都市を脅かす海面上昇に比べれば、原子力のもたらす脅威などとるに足らないものだ。再生可能なエネルギーは聞こえはよいが、今のところ効率が悪く高くつく。将来性はあるものの、非現実的なエネルギーを試している時間が今はない。文明は切迫した危機状態にあり、今こそ原子力を利用するときだ。さもないと激怒した惑星によってまもなく与えられる痛みに苦しむことになるだろう。省エネのためには環境保護主義者の役立つ助言に従わねばならないし、いつもできるだけのことをやらねばならないが、言うは易く行うは難しという気がしてならない。(省エネ技術を)大多数の利用者が使うまでには数十年を要する」(p.50)と述べている。ここに著者の環境の状態に対する評価とその危機感に基づく原子力推進の考えの根拠が端的に示されている。この主張について、この著書で説明されている内容について考えてみる。

原子力発電を巡って

まず、放射能被害の危険を恐れる反対世論が大きな原子力発電について、「私は原子力を今後使用すべき唯一の特効薬と考えている。・・・クリーンな永続的な核融合エネルギーと再生可能エネルギーが有効利用できるようになるまで、核分裂エネルギーは文明の光を燃え続けさせるために、安定した確かな電力源を維持する役割を果たしてくれるのだ」(p.51)と断言する。 そして「化学物質や放射線によって癌になるという些細な統計的リスクに心を悩ますのはやめなければならない。いずれにせよ、われわれの約1/3は癌で死ぬ。主原因は空気中に大量に存在する発癌性物質、すなわち酸素を吸い込むせいだ。そんなことより、地球温暖化という現実の危険を回避するほうに専心しなければ」(p.51)と主張する。   
著者は具体的被害の資料として、あの世界を震撼したチェルノブイリ原発暴走事故での死者について、「タイムズ」やBBCが、放射能飛散の結果ヨーロッパとロシアで3万人以上の人々が犠牲になったと繰り返し報道したのに対し、世界保険機構(WHO)の発言では、事故後14年と19年後に行った調査で、亡くなったのはプラント労働者、消防士、事後処理参加者の、それぞれ45人と75人のみだったと主張する。著者はこの「タイムズ」やBBCの報道について、「意図的に欺こうとする発言を嘘と定義するなら、チェルノブイリで莫大な死者が出たという執拗な繰り返しは、影響力の強い嘘といえよう」(p.174)と糾弾する。

しかし著者のこの放射能による被害の指摘は、チェルノブイリ原発事故の放射能被害では、晩発影響として知られる遺伝的影響や発癌で大きいことを無視した指摘である。晩発影響は統計的な被害であり個々人について放射能による発癌だったという具体的な証明は出来ない。それだからこそ被曝した人々は不安であり、現に被曝地域で多数の甲状腺癌や白血病の患者が発生しており、事故発電所の周囲30kmが現在も居住禁止区域になっている。それを「些細な統計的リスク」と言いきるのはそれこそ実情を無視した暴論であろう。
また、スイスの或る研究所の行った「1970年から1992年のエネルギー生産業における死者の状況」調査で原子力産業での死者が少なかった例を引き「原子力は石炭や石油を燃焼させるのに比べて約40倍安全だし、再生可能な水力発電よりも安全なのだ」(p.175)と強調している。しかし、放射能の危険防護で厳重に管理されている原子力産業での死者と他産業の死者を直接比較し、原子力産業がはらむ巨大な事故と放射能汚染被害の可能性を無視することは、上記の晩発的・統計的被害も含めた、原子力をエネルギー源として使用することのトータルな被害比較にならないことは特に説明は要らないと思う。

もうひとつ、原子力発電(核分裂エネルギー)の利用の危険性が、現在の世界では、常に核武装、核兵器の拡散の危険と繋がっていることを忘れてはならない。北朝鮮の核施設について6ヶ国協議が国際的な緊急な課題として論じられているのは核兵器の装備に繋がればこそである。

エネルギー源のベストミックス

著者はさまざまなエネルギー源を検討した上で次のように評価する。すなわち「再生可能エネルギーへの熱意と政治が結びつくのは不幸だ。各国は京都議定書の制限を実現するために努力しているという評価が欲しいのだ。その試みは失敗し、再生可能エネルギーの発展がまだ不十分なのに主要エネルギー源として導入した愚かな政治家や環境保護団体は信用を失うことになるだろう」(p.148)である。

そして、「私は原子力をあらゆる問題の解決策とみているわけではなく、エネルギー源のポートフォリオ(適正な構成)に欠かせない要素とみているのだ。直近の将来のために、そして今すぐにも、われわれはできるだけ多くの核分裂エネルギーを暫定的に利用する必要がある。それを利用しながら、将来的に他のクリーンエネルギーに切り替えていくことを目指せばよい」(p.176)と提案している。
 
私は、著者のこの提起は、結局は、環境破綻の危機に直面してなお経済の拡大、利益の増大を追い求める経済社会構造と、その中で高度に発達した文明の成果を享受している人々に向かって、省エネルギー、省資源を基調にして、生産と消費スタイルの抜本的転換を迫るのでなく、再生可能エネルギー開発の余裕はないと主張し、技術的な解決策として、新たな危険をはらむ核分裂エネルギー源の拡大強化を提起したことになると考える。いま京都議定書約束年を前にして、ヨーロッパ諸国をはじめ、従来は枠外にいた発展途上国をはじめ、京都議定書から離脱していた米国内でも京都議定書以後の安全に住み続けられる地球環境を確保するための枠組み作りへの関心が高まっている。

その枠組みにとって絶対必要な内容は、従来の生産と消費のタイルの抜本的な転換を基礎にした目標である。省資源、省エネルギーの世界的な取り組みの努力と成果の上に原子力の利用も含むエネルギー政策が作られることが必要である。いずれにせよ世界人類の共同の取り組みなしには解決できない問題なのだ。
そして癌への恐怖が原子力利用の障害になっており、癌への恐怖は環境保護主義と核兵器反対運動が結びついて広めた妄想だというような指摘は、一人一人の人間が抱く大きな不安を否定する暴論だと思う。癌への恐怖は文明の進行と共に肥大してゆく人類の不安の大きな部分である。それは妄想ではなく人類の共通の悩みとしてその真の原因の克服に立ち向かうべきであろう。

化学物質の問題

「レイチェル・カーソンは、農薬の過度の使用が広範囲に及ぶ野鳥の死を招いたという、非常に説得力のある主張をした」(p.182)ことを著者は認める。しかし同時に「カーソンは無意識のうちに彼(DDTをを発明してノーベル賞を受賞した研究者)を悪魔に仕立て上げた」と批判する。そして「われわれは『沈黙の春』が単に農薬による汚染のせいで起こるのではないということを理解しなければならない。鳥が死ぬのは、人間が徹底的に耕してしまったこの世界に、もはや彼ら(野鳥)の居場所が無くなってしなったせいだ」と著者は言う。

鳥の死亡には他にも原因はあるだろう。温暖化、乾燥による鳥の食べ物の減少、伝染病、大気汚染など指摘は出来よう。しかしカーソンの功績は有機塩素農薬の危険性を劇的な表現で社会に訴えたことである。この農薬の問題点を初めて公然と指摘したことだ。「単に農薬による汚染のせいでおこるのではない」と言うように、他の原因を並べて、原因を分散させ、結果として農薬の持つ本来の危険性の指摘を批判したり免罪してしまうような批判は、きわめて不公正な非科学的な批判として言うべきである。

もっと冷静に地球環境を見つめよう
 
「ガイアの復讐」を読んで感じることは、地球環境が生物圏を含めて、自己調整機能が効かなくなる、環境崩壊の危機に対する著者ラブロックの切迫感がきわめて強いことである。著者は、IPCCの科学的成果を評価し確認しながら、その危機感はIPCC評価を遙かに超え、化石燃料使用によるCO2排出は、地球環境の自己調整機能の限界(閾値)を超え、すでに回復不能の領域に踏み込んでいると考え、切迫感におののいて言う。科学者が「最後を知らせるベルが鳴り始めている今ですら、まだ持続可能な開発や、再生可能なエネルギーについて話している」という危機評価の違いを著者は強調する。

その切迫感が、最大の危機の対策として、危険の可能性のより少ない原子力(核分裂)で目前の危機を乗り切って、本格的なエネルギー(核融合 自然エネルギー)に繋ぐという戦略を彼が選んだ根拠となっている。そして、そのような危機感の基盤にはガイアという比喩が、生きているガイアの復讐という実感となって一層の緊迫感を作りだした面があるのは否めないであろう。そのような基準に立って原子力や諸エネルギーに対する公平とは言えない偏った評価が行われ、原子力利用の危険な側面を不問に付す主張となるが、すでにガイアの復讐という感覚に取り込まれた読者には理性的に批判することが難しい心情になっているのではないか。そこに危機訴えの理論としての「ガイア」論が、その対策選択において感性的な評価に流れる危険性を見ることが出来る。読者には「ガイア」はあくまでも生物を含む地球環境の自己調整の側面を理解しやすくする比喩であり、「ガイア」という生き物、ましてや復讐というような感情もつ生き物ではないことを冷静に受け止めて考える余裕を持ってもらいたい。                                
*「ガイアの復讐」は,環境保全派市民を混乱に陥れる。「環境一般ではなく今はCO2削減だ!」と。しかし、地球上の生物を危機に陥れる事象は多様でしかも関連性が強い。危険性の認識も急性毒性に終始し、遺伝毒性や慢性毒性いついてふれない。若いお母さん読者も多いと思われる。本書評が有効に活用されるように願っている。

以上