長野くに子さん が寝屋川市長選挙に出馬
「私の家の近くに、二つの廃プラスチックの処理施設が建設されることになり、民間の廃プラ工場は昨年4月から本格操業になりました。それ以来、毎晩のように異様な臭いが漂い、その臭いを嗅ぐと気分が悪くなります。「昨日もにおったね。ほんとにいやね」というのが、主婦の毎日のあいさつになりました」・・・出馬にあたっての決意から
本会の呼びかけ人の一人・長野晃さんの夫人、長野くに子さんが、寝屋川市長選挙に「市民本位の寝屋川民主市政をつくる会」の推薦で出馬を表明されました。
寝屋川市政は、かつては保育所、学童保育所、病気あけ保育所、障害児施設などをいち早くつくるなど「福祉都市・寝屋川」と全国的に注目されました。しかしながら、オール与党政治がすすむ中で、福祉の後退と同時に、全国でも珍しいほどの二つの大型駅前開発が実施に移されようとし、また、廃プラ処理施設の建設が強行され、疫学調査や大気環境調査によっても健康被害と大気汚染が明白になっています。
長野くに子さんは、下記の「出馬声明」にあるように、このような身近な環境問題を一つの契機として、「このままでは、寝屋川に住み続けられない」という切羽つまった思いから、出馬を決意されました。私たちは、その勇気ある決意に応えて、活動を励まし支援したいと存じます。下記あてに、メールや手紙などによる激励とともに、カンパをお送りいただければ幸いです。
激励先:〒572-0843 寝屋川市太秦中町29-23
長野 くに子
長野 晃
Mail Address : inokan14960@nifty.com
内部資料
寝屋川市長選挙への出馬声明
2007年2月26日
長野 くに子
1、 出馬にあたっての決意
私が立候補を決意したのは「このままでは寝屋川に住み続けられない」という切羽つまった思いからです。
私の家の近くに、二つの廃プラスチックの処理施設が建設されることになり、民間の廃プラ工場は昨年4月から本格操業になりました。それ以来、毎晩のように異様な臭いが漂い、その臭いを嗅ぐと気分が悪くなります。「昨日もにおったね。ほんとにいやね」というのが、主婦の毎日のあいさつになりました。
毎日新聞に「湿疹発症12倍」「ベンゼン基準の2.6倍」、読売新聞に「健康調査を急げ」と言う記事がでました。私も昨年から首に湿疹ができるようになりました。70歳をこえ、ぜん息が出て息が苦しくなり何回も救急車で運ばれた知人もいます。若いお母さんは「子どもの体に、有害な化学物質がたまっていっていると思うとたまらない」と言っています。
周辺の自治会を中心に住民運動がたかまり、8万筆をこえる署名を市長と市議会に計2回提出し、裁判にも訴えています。何回も市長に説明をもとめ、請願書をもってたくさんの住民が市長室に行きましたが、市長は部屋にいるのになかなか出てこようともせず、みんなカンカンに怒ったこともあります。
廃プラ工場からの悪臭がすると市民が市に連絡していますが、市長は1度も来たことがありません。「元気都市」寝屋川をかかげ、市民の健康と安全に責任を持つ市長なら自ら現場に駆けつけるぐらいのことは当たり前のことではありませんか。
「保守」の市長さんでも反対意見に耳をかたむけ、市民と胸襟をひらいて話し合う、そういう良識ある市長さんがかつては寝屋川におられたことを思うと残念でなりません。
こんな市の態度に見切りをつけて引越しされた方もたくさんおられます。「安心して住み続けられる寝屋川市にしたい。今の市政を変えなければ取り返しがつかないことになる」やむにやまれない気持ちで、私は、市長選挙に出馬する決意をしました。
馬場市政の市民無視の姿勢は廃プラだけでなく、行政のすべてにいきわたっています。「小学校をつぶさないで」という声も「あやめ保育所の民営化をしないで」と言う声も、まったく聞く耳を持たない一方で、必要性や緊急性、巨額の市税投入など、大きな問題のあるハコモノをつくるむだ遣いはどんどんすすめています。大規模開発は二つの駅前再開発と寝屋南土地区画整理事業の三つだけで総事業費約420億円、市負担は119億円です。寝屋川は大阪一、人口減少がすすんでいる市です。特に若い人達が出て行っています。そうなっているのも、乱開発で緑はどんどんなくなり、福祉は後退する、子育てが困難、魅力のないまちになってきているからではないでしょうか。
増税や介護、年金など社会保障の切捨て、負担の増額など国の政治が冷たいときだけに自治体が「住民福祉のための機関」としての役割を発揮しなければならないときです。
かつて、「福祉の寝屋川」といわれた時代がありました。財政難のもとでも、全国に誇れる障害者の施設、学童保育、病気あけ保育所などがつくられました。
また、寝屋川市には高宮廃寺はじめ貴重な歴史遺産や文化遺産、人を思いやるやさしさの伝統、そして開発がすすんだとはいえ再生可能な川や緑もあります。こうした寝屋川の良さを生かせば寝屋川市はよみがえります。
市長の権限は大きいのです。市長が変われば市政はかわります
私は、立場が違っても、市民の声をよく聞き、各界の専門家、職員のみなさんの知恵、広範な意見を集めて、福祉の面でも環境の面でも「住み続けたい」と思える寝屋川市に、市民参加で再生するために全力をあげたいと思います。
2、私の政治信条ー「市政にやさしさとロマンを! 不正や利権は許さない!」
私は1943年(昭和18年)中国東北部(旧満州)で7人兄弟の6番目の子どもとして生まれました。
敗戦後、長崎県の崎戸町(炭鉱)という小さな島で育ちました。貧乏な生活でしたが、青い海と青い空を見ながら、中学校の教師の父とやさしい母、兄弟に囲まれて、明るく、健康で、正義感の強い子にそだちました。
結婚後、寝屋川市に住んで33年、二人の子どもを育てながら南寝屋川高校などの教師として25年働いてきました。「どの子も天までのびる」を教育信条としてきました。
保育所、学童保育所、病気明け保育所に大変お世話になりました。このときほど、行政の施策の大切さを感じたことはありません。ところがこの数年、廃プラ問題を通じて市政の後退を痛感させられました。その背後に「部落解放同盟一部幹部」による行政への介入がありました。
私は府立南寝屋川高校の教員の時代「部落解放同盟一部幹部」の教育介入に直面しました。私は子どもと学校教育を守るため理不尽な介入は絶対許せないとがんばり通しました。当時の校長先生は必ずしも立場は私と同じではありませんでしたが、その勇気をたたえてくださり、衆議院選挙の立候補にあたり推薦の言葉を寄せていただきました。このとき私は勇気をもって貫けば立場をこえてひびきあうことができる喜びを知りました。
「市政にやさしさとロマンを!不正や利権を許さない!」これは、私の63年の人生体験、多くの方々との交流を通じてつちかわれた信条です。
3、私の寝屋川再生プラン(公約の骨子)
いま格差社会のもと、ワーキングプアや負担増、将来不安が市民の中に広がっています。こうした中、市政がはたすべきことは、自治体本来の役割である「福祉のこころ」を市政の中心にすえ、市民のくらしをまもり、安全・安心のまちづくりをすすめることです。そのためには、現市政の大型開発優先のあり方を抜本的に転換し、かつての「福祉の寝屋川」をとりもどし、市民のくらしを守るために全力をつくします。
1.国保料・介護保険料の値下げ、子ども・障害者・お年寄り・母子家庭の医療の改善に努め、「福祉の寝屋川」「子どもが安心して育つ寝屋川」をよみがえらせます。
2.大規模開発や同和行政のむだ遣いを排し、真に地元商工業者がうるおう、福祉・教育・環境・防災重視の公共事業・商工政策に転換します。
3.歴史や文化遺産、緑や川など伝統的な寝屋川の良さを活かし、おとしより、若者が住み続けたいとおもえる街づくりをすすめます。この精神に立って、廃プラスチック施設などの公害に苦しむ地域住民の要求にこたえ、その解決に全力をそそぎます。
4.「市民が主人公」の立場で、市民の声が生き生きと届き、市民に開かれた市政を実現します。職員が市民全体に奉仕する気持ちで働ける市役所づくりに努めます。憲法を守り市政に生かします。
私の略歴
氏名: 長野邦子
出生地: 中国東北部
生年月日: 1943年(昭和18年)9月2日
家族: 夫、長女、長男
学歴: 奈良女子大学理学部数学科卒業
主な経歴: 私立東大阪高校教諭、府立南寝屋川高校教諭、府立高校教職員組合婦人部長、‘94年衆議院選挙立候補、日本共産党大阪府委員会女性児童部長
現職: 市民本位の寝屋川民主市政をつくる会 代表委員
趣味: アコーディオン演奏、書道、映画鑑賞、社交ダンス