綱領改定についての報告 (前)

綱領改定についての報告 (前)

環境にかかわる箇所を赤字とコメント

中央委員会議長 不破哲三

日本共産党第二十三回大会の一日目(十三日)に、不破哲三議長がおこなった「綱領改定についての報告」は、つぎのとおりです。

代議員、評議員のみなさん、全国の党員のみなさん、党中央委員会を代表して綱領改定についての報告をおこなうものであります。

七中総以来、総選挙の時期をはさみ、約七カ月にわたって活発な全党討論がおこなわれてきました。支部会議、地区党会議、県党会議での討論の状況は、九回にわたって各都道府県委員会から報告がよせられました。一人ひとりの党員の個別の意見についても、討論誌への応募意見が五百六十七通にのぼったのをはじめ、全体で二千通近い意見、感想が党中央委員会によせられました。

今回提案した改定案は、理論的な新しい観点ももりこんだ全面改定でありましたが、全国的な討論の流れは、この改定案に賛成の意見でありました。

よせられた意見、注文を見ますと、綱領の性格をはっきりさせたら解決すると思われるものもかなり多く見受けられました。そこで報告は、綱領とはなにかという問題から始めたいと思います。

党の綱領とはなにか

党の綱領は、党活動の目標、および根本方針を明らかにするものであります。日本共産党の最終目標は、党規約に明記されているように、日本の社会を「真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」、いいかえれば、社会主義・共産主義の社会に発展させることにあります。日本が、社会の発展のどんな段階をへて、また道筋に沿って前進し、未来社会の道をどのように切り開いてゆくかは、日本独自のものであって、これを明らかにするところに、日本共産党の綱領のなによりの役割があります。

とくに、いまの日本社会がどういう状態にあり、社会としてどんな課題に直面しているのか、それをどのように解決するのが法則的で発展的な方向であるのか、これらの解明は、綱領の中心問題であります。そこでは、当面の情勢のもとでの方針だけでなく、さきざきまで展望して、日本と世界の諸問題にのぞむ基本的な考え方や目標が明らかにされなければなりません。党の発展と活動の途上には、前進もあれば後退もあり、いろいろなことが起きることが予想されますが、そのなかでも太く貫いてゆく方針を示すのが、党綱領であります。私たちが、綱領の改定にあたっては、“長い目で歴史の試練に耐える”ことが重要だと強調しているのは、その意味であります。

日本がすすむ社会発展の段階やそこでの目標、課題などの問題は、私たちの主観的な願望で決まるものではありません。日本と世界の情勢を科学的に分析することによって、はじめて的確に見定めることができるものであります。その意味では、ここには、私たちの世界観、科学的社会主義の世界観がこめられます。正確な綱領を持とうと思ったら、この世界観を深め、発展させ、現代的にみがきあげる不断の研究が不可欠であります。そして、その綱領の中身では、私たちが今日の日本と世界の情勢をどれだけ的確につかんでいるかだけでなく、科学的社会主義の世界観をどれだけ深く自分のものにしているかの、私たちの理論的な力も試されるのであります。

また、綱領が日本共産党の根本方針だということは、党内だけで通用すればよい、ということではありません。科学的社会主義の事業の先輩たちは、党の綱領とは「公然と掲げられた旗」であって、「世間の人々はそれによって党を判断する」(エンゲルス)、こう語ったことがあります。

もともと日本の社会の発展の方向を決めるのは、日本の国民であります。どんな方針も国民の多数者の理解と支持を得てこそ、はじめて社会を動かす力を発揮するものです。私たちが、今回の綱領改定にあたって、“国民により分かりやすく”ということに力を入れたのもそのためであります。

党の綱領の基本的な性格は以上のような諸点にあります。

意見ではいろいろな政策的な要望が出されました。しかし、綱領は、要求の総まとめでも政策の集大成でもありません。国民的な要求との関連について言いますと、国民諸階級・諸階層の多様な要求を実現するためにどんな改革が必要であるかを確定するのが、綱領の任務であります。政策は、綱領のその路線をふまえて、各分野で、またその時々の情勢に照らして、要求実現の方向を具体化してゆくのが任務であります。党綱領が当面する改革の大きな方向を打ち出していることは、わが党の政策活動が一貫性を持ち、体系性を持つことの保障となるものであります。綱領と政策などのこういう関係をよくつかんでいただきたいと思います。

綱領改定の内容に入ります。

現在の党綱領は、二つの党大会にわたる全党討論をへて、一九六一年に採択されたものであります。

その路線の中心は、

――社会の段階的な発展という見地に立って、当面する日本の変革を、独立の任務をふくむ民主主義革命と規定したこと、

――多数者革命の路線にもとづき、日本の社会のどんな変革も、議会の安定多数を得て実現するという方針を明確にしたこと、

――社会発展の全過程で、統一戦線と連合政権の立場を貫いていること、

などにありました。

綱領路線のこれらの点の正確さ、的確さは、それ以後四十年を超える情勢の進展とわが党の活動のなかで実証されてきました。

今回の綱領改定は、七中総の報告・結語で明らかにしたように、この基本を引き継ぎながら、つぎのような点で、綱領路線を大きく前進させたものであります。

第一に、民主主義革命の理論と方針を、日本の進歩的な変革の指針として、より現実的かつ合理的に仕上げたこと。

第二に、二〇世紀に人類が経験した世界史的な変化を分析し、二一世紀をむかえた世界情勢の新しい特徴および発展の展望を明らかにしたこと。

第三に、科学的社会主義の理論的な立場をより深く究明しながら、とくに未来社会論では、過去の誤った遺産についてもその総決算をおこない、私たちの終極目標である社会主義・共産主義の展望が持つ人類史的な意義をあらためて解明したこと。

これらであります。

すでに綱領の内容の基本点は、七中総の提案報告で詳しく解明いたしました。そのことを前提に、以下、章ごとに重点的な報告をおこないたいと思います。

戦前の日本社会と日本共産党(第一章)

まず「第一章 戦前の日本社会と日本共産党」についてであります。この章は、基本は現行の綱領の文章を引き継いでおりますが、表現をより分かりやすくする努力をおこなうとともに、日本がおこなった侵略戦争について、戦争の開始と拡大、敗戦にいたる基本的な経過、それが引き起こした惨害などが、的確に分かるように筆を加えました。

この章については、なぜ党の綱領が戦前からはじまるのか、なぜ戦前の日本社会とそこでの闘争についてのべるのか、こういう質問や意見がいくつかありましたので、その意味を解明しておきます。

戦前の歴史は、日本共産党の活動にとって原点ともいうべきものであります。それは世界の資本主義諸国のなかでも、もっとも野蛮な抑圧のもとにあった戦前の日本社会で、いかなる搾取も抑圧もない未来社会の建設をめざし、天皇制国家の専制支配と侵略戦争に反対して、平和と民主主義のために勇敢にたたかいぬいた不屈の記録であります。言語に絶するそのたたかいの犠牲者のなかには、党中央の指導者たちとともに、二十歳代の若い生命をこの事業にささげた青年たちなど多くの人々の名前が刻まれています。

いかなる苦難の情勢に直面しても、「国民が主人公」の信条をつらぬき、平和と民主主義の日本、そして人間解放の未来社会をめざす党の旗を掲げつづけた先輩たちの精神は、今日の新しい情勢のもとでもかたく受けつがれなければならないものであります。

そこに、党綱領が、まず党創立以後二十余年にわたる戦前のたたかいについてのべている第一の意味があります。

第二に強調したいのは、戦前の問題は、現在の情勢、現在の党の任務を理解するうえでも欠かすことのできないものだという点であります。

なぜ日本は「ルールなき資本主義」か、この問題をとってみましょう。これは、日本が一九四五年まで、国民が無権利状態に置かれていた社会だったという歴史を抜きにしては、理解できない現実であります。たとえば一九三〇年代をふりかえってみてほしいと思います。この時代は、ヨーロッパでは、人民戦線運動が大きな発展をとげた時代で、労働運動でも、フランスでは、一九三六年の大運動で、賃金・労働時間・有給休暇から団体協約の権利にいたる画期的な改革がかちとられた時期でした。ところが、同じ時期の日本は、中国の東北地域への侵略から全面侵略に移行する時期であって、明治以来の無権利状態に加え、労働者など国民をさらに過酷に抑圧する戦時体制が、年ごとに強まりつつあるさなかでした。こういう違いの積み重ねが、今日のルールなき社会の現実に現れているわけであります。

また、日本の軍備増強や海外派兵がなぜ特別に問題になり、アジア諸国の強い拒否反応を引き起こすのか。これも日本の侵略戦争の歴史を認識して、はじめて理解できることであります。

改定案が、新しい日本の平和外交の方針の冒頭に、「日本が過去におこなった侵略戦争と植民地支配の反省を踏まえ、アジア諸国との友好・交流を重視する」と明記しているのも、その歴史を真剣に踏まえているからこそのことであります。

なぜ日本が世界でただひとつ憲法の平和条項を持っているのか、なぜ日本共産党がその擁護を中心任務として掲げるのか。そしてまた、日本共産党の野党外交になぜ多くの国ぐにの信頼と共感がよせられるのか。今日の政治のこれらの中心問題も、この歴史の認識に裏付けられてこそ正面からとらえることができるものであります。

日本の未来を開く先頭に立つものは、過去の日本が侵略戦争と植民地支配によってアジアと世界に大きな損害を与えたことをはじめ、戦前の日本社会がへてきた歴史について、深い認識を持つ必要があるのであります。

第一章が、綱領の冒頭に掲げられてある意味を、この精神でぜひ読み取ってほしいと思います。

現在の日本社会の特質(第二章)

つぎに、「第二章 現在の日本社会の特質」にすすみます。改定案は今日の日本の情勢を、アメリカの対日支配および日本の大企業・財界による国民支配という二つの面から大きく特徴づけています。

七中総から今日まで七カ月間の情勢の動きは、綱領改定案のこの情勢規定の的確さを試す場となりました。あの激しい選挙戦をたたかうなかで、綱領改定案がたたかいの指針となったという多くの声が全国からよせられたことは、この問題での力強い回答となったと思います。

イラク派兵も憲法改悪計画も、根源は「異常な国家的な対米従属の状態」に

まず第一点ですが、改定案は、アメリカの対日支配下の日本の状態を、「きわめて異常な国家的な対米従属の状態」と特徴づけました。いま進行しているイラクへの自衛隊派兵と、小泉内閣による憲法改悪のくわだては、この従属状態をさらに極端な段階にすすめるものにほかなりません。

戦地であるイラクに自衛隊を派遣することが、明々白々な憲法違反であることは、論じるまでもないことであります。小泉内閣は、アメリカへの忠誠を憲法以上の基準にするという態度で、それを強行しつつあります。これはアメリカが世界のどこかで戦争を始めたら、それが国際法を無視した先制攻撃戦争、無法な侵略戦争であっても、「日米同盟」の義務だといって自衛隊を派兵する、こういう恐るべき状況に日本と国民を引き込むものであります。現に小泉内閣は、“いつでもどこでも”海外派兵の要請にこたえられるように、海外での活動を自衛隊の日常不断の任務とする立法面その他の準備に取りかかりつつあります。

さらに、小泉首相が、憲法改悪への日程表を総選挙の「政権公約」に書き込んだことは、憲法違反からさらにすすんで、憲法そのものを、この「異常な国家的な対米従属の状態」にふさわしいものに作り変えようとするくわだてそのものであります。

こっけいなのは、「日米同盟」を絶対化する従属派が、こと憲法の問題になると、にわかに“自主独立”派をよそおいはじめ、「アメリカ押しつけの憲法だから、改定を」などと言い出していることであります。

この議論のごまかしは、歴史をちょっとふりかえっただけで明らかになります。

公開されたアメリカ政府の公式文書によると、アメリカの国務省と国防総省との間では、早くも一九四八年――新しい憲法が施行された翌年であります――、そのころからすでに、日本の再軍備のために日本の憲法を修正しなければならないという問題が、検討事項になっていました。

憲法の改定が簡単にはできないということは、アメリカの関係者自身が最初から分かっていましたから、実際の再軍備は憲法第九条の条文には手をつけないままでという、なし崩しのやり方でおこなわれました。その第一歩が、一九五〇年、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)の直後に、占領軍総司令官マッカーサーの命令で強行された「警察予備隊」の創設でした。これが、四年後の一九五四年には自衛隊になりました。いま「解釈改憲」と呼ばれている路線も、こうして、アメリカの直接の命令で押しつけられたものであります。

この「解釈改憲」路線をもっとも極端なところに推し進めてきたのが最近のあいつぐ海外派兵の暴挙ですが、それらもすべて、強烈なアメリカの圧力のもとにおこなわれていることは周知のことではありませんか。

“自主独立”どころか、この五十数年間、憲法改悪の最大の推進力となってきたのがアメリカの要求であることは、あまりにも明らかな歴史の事実ではありませんか。(拍手)

そして、その最終目標と位置づけられてきたのが、小泉内閣がいよいよ「政権公約」にもりこんだ憲法の明文改悪であります。

憲法改悪とは、従属国家から自主独立国家への転換であるどころか、日本の憲法までも異常な対米従属国家の道具に転落させようとする試みにほかなりません。絶対に許すことはできないのであります。(拍手)

七中総報告では、「対米従属のこの体制を打破することは、二一世紀の日本が直面する最大の課題であって、この課題に真剣に対応しようとしないものは、二一世紀に日本の政治をになう資格がない」と強調いたしました。イラク派兵を阻止し、憲法改悪のたくらみを打ち破るたたかいは、平和と民主主義の重大な課題であると同時に、日本の主権・独立をかちとるたたかいの要をなすものであることを、強く訴えたいのであります。(拍手)

大企業・財界の支配をめぐって

改定案は、日本の情勢のもうひとつの基本的な特質として、大企業・財界の支配について分析しています。

そこでは、日本の大企業・財界の経済面での横暴な支配とともに、政治面についても、大企業・財界が「日本政府をその強い影響のもとに置き、国家機構の全体を自分たちの階級的利益の実現のために最大限に活用してきた」ことを指摘し、「国内的には、大企業・財界が、アメリカの対日支配と結びついて、日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めている」と規定しました。この点が重要であります。これは、日本の階級的な支配勢力の中心がどこにあるかを、きわめて明確に規定したものであります。

この大企業・財界の支配の問題について、いくつかの点をのべたいと思います。

第一。総選挙では、大企業・財界の大規模な政治介入が問題となりました。二大政党づくりへの介入、政策目標を明示しての政治資金の大規模な再開、などなどであります。

それは、自民党政治の現状に危機を感じた財界が、より直接的な形で政治を動かそうとし始めた、ということであります。このことは、大企業・財界が「日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めている」とした改定案の規定の正確さを、財界自身の政治行動で立証したものであります。

第二。改定案はこの規定に続く部分で、大企業・財界の横暴な支配のもとにある日本経済の現状についてのべ、そこで、

――国民の生活と権利を守る多くの分野で、ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していないこと、

――日本政府が「大企業・財界を代弁して、大企業の利益優先の経済・財政政策を続けてきた」こと、

――「逆立ち」財政にその典型的な表れがあること、など、ヨーロッパ諸国とくらべてもとりわけ顕著な支配の横暴さを、浮きださせています。

また「日本経済にたいするアメリカの介入」が、日本政府の経済政策に誤った方向づけを与え、日本経済の危機と矛盾の大きな要因となってきたことも、日本経済の主要な問題点の一つとして提起しています。

ここで注意してみてほしいのは、第四章の民主的改革のプログラムが、第二章のいまの情勢分析に対応して、「ルールなき資本主義」の現状打破、大企業の利益優先から大企業の民主的規制の転換、財政方針の抜本的な転換、経済面でのアメリカの不当な介入の排除、などの改革を提起していることです。

情勢分析と民主的改革の方向づけとの関連という問題は、経済の部分だけのことではありません。綱領改定案が、全体として、情勢分析と改革のプログラムとの連関性、統一性に注意を払っていることに、ぜひ目を向けてほしいと思います。

第三点。現行の綱領では、大企業・財界の経済的支配も政治的支配も、すべて「日本独占資本の支配」という言葉で表現されていました。つまり、「日本独占資本」という用語は、日本の経済的支配者と政治的支配者をひとまとめに表現したものとなっていました。そこから、日米安保条約を結んだり、海外派兵や日米共同作戦の体制を強化するなどの日本政府の政治行動が、すべて「日本独占資本」の行動とされるなどの、表現の単純化が出ていました。

しかし、七中総でのべたように、政治的支配と経済的支配とは、実態も違えば、それを打破する方法も違います。その点を重視して、改定案は、これまでの「日本独占資本の支配」という規定をあらため、「日本と国民を支配する中心勢力」が大企業・財界であることを明確に規定しながら、政治的支配の内容については、実態に即した具体的な記述にあらためたのであります。

実際、大企業・財界が、政治をふくめて「日本と国民を支配する中心勢力」だといっても、その政治への介入の形態は、いつでも同じというものではありません。よりむき出しの、より反動的な形態をとる場合もあれば、いろいろな力関係に押されて、より間接的な形態をとる場合もあり、その形態の違いが、政治闘争の焦点になる場合もあります。「政・官・財の癒着」をめぐる闘争は、そのひとつであります。

その点でも、昨年の総選挙で、私たちが「二大政党づくり」を旗印にした財界の政治介入に正面から立ち向かってたたかったことは、綱領の規定にもかかわる大きな経験となりました。新しい規定づけでこそ、大企業・財界が政治を自分の影響下におく形態の違いを問題にすることができるし、今回のように、大企業・財界が新たなやり方、新たな形態で政治介入をくわだててきたときには、その危険性を的確に告発できるのであります。すべてを「日本独占資本の支配」に解消してしまうこれまでの規定では、こうした攻撃も、同じ支配の枠内でのいわば“コップの中の嵐”といったとらえ方にならざるを得ないのであります。

情勢を根底からとらえるという問題

日本の情勢の綱領的なとらえ方の問題として、最後に強調したいのは、綱領が指摘している日本社会の二つの特徴は、現在の体制と国民の利益との根本的矛盾を規定している、という問題であります。

政治の上部構造では、逆向きの変動もしばしば起こります。しかし、いま日本の政治を握っている政権勢力には、アメリカの対日支配についても、大企業・財界の国民支配についても、その根幹にかかわる改革に手をつける意思もなければ、力もありません。そうである限り、政治の表面でどのような「再編」や見せかけの「改革」がおこなわれようと、日本社会の根底から生み出される根本的矛盾を解決することはできないし、長続きする安定した支配を確立することもできないのであります。

そして、支配体制と国民の利益とのあいだにこの矛盾がある限り、情勢にどんなジグザグの展開があっても、国民的な規模でその解決を求めての探究がおこなわれることは不可避であります。私たちが民主的な改革を支持する国民的多数派が形成されることを展望する根拠も、そこにあるのです。

ここに、情勢を根底からとらえるという綱領的な認識の大事な中心点があります。政治の上部構造で、選挙での後退とか、反共宣伝に攻め込まれるとか、逆向きの動きが起こったようなときほど、情勢についての綱領的認識を堅持することが重要であります。

世界情勢――二〇世紀から二一世紀へ(第三章)

つぎに、「第三章 世界情勢――二〇世紀から二一世紀へ」であります。ここでは、世界情勢を、二〇世紀の変化と到達点(第七節)、社会主義の流れの総括と現状(第八節)、世界資本主義の現状の見方(第九節)、国際連帯の諸課題(第十節)といった順序で分析しています。この分析を、世界の構造の変化という角度から整理してみたいと思います。

植民地体制の崩壊は、世界の様相の大きな変化を生み出した

第一の角度は、植民地体制の崩壊が引き起こした変化であります。

改定案は、二〇世紀の変化の第一に、植民地体制の崩壊をあげています。大事なことは、このことが、世界の構造の全体にかかわる大きな変化・変動を生み出したことであります。

第一点。二〇世紀の初頭には、地球上の大多数の諸民族が、植民地・従属諸国として国際政治の枠外におかれていました。いまでは、これらの国ぐには、独立国として国際政治に積極的に参加しており、そのこと自体が、二一世紀の新しい世界情勢をつくりだしています。

第二点。この変化のなかで、植民地支配を許さない新たな国際秩序が生み出されたことは、きわめて重大であります。これによって、独占資本主義の諸国のあり方も大きく変化せざるを得なくなりました。

第三点。国際政治の舞台で、非同盟諸国会議、東南アジア諸国連合、イスラム諸国会議機構(OIC)などの諸組織が果たす役割と比重が大きくなりました。国際連合のあり方も、これまでの大国中心から、本当の意味で国際社会の全体を代表する方向での新たな発展が求められるようになりました。

第四点。イスラム諸国の登場と発展に端的に示されているように、異なる価値観を持った文明と文明のあいだの共存という問題が、いやおうなしに世界の日程にのぼってきました。

これらがその変化・変動の主要な点であります。二一世紀には、この方向でのさらに大きな発展が予想されます。

二つの体制の共存という情勢が新たな展開を見せつつある

第二の角度は、二つの体制の共存という関係からみた世界構造の変化であります。

資本主義が世界を支配する唯一の体制だった時代から、二つの体制が共存する時代への移行・変化が起こったのは二〇世紀であり、そのことは、二〇世紀の最も重要な特質をなしました。しかしこの時代的な特徴は、ソ連・東欧での体制崩壊で終わったわけではけっしてありません。むしろ二つの体制の共存という点でも、新しい展開が見られるところに、二一世紀をむかえた世界情勢の重要な特徴があります。

改定案がのべているように、ロシアの十月革命に始まった社会主義をめざす流れは、今日の世界で、いくつかの国ぐにに独自の形で引き継がれています。とくにアジアでは、中国・ベトナムなどで、「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みなど、社会主義をめざす新しい探究が開始されています。これは、中国は人口十三億、ベトナムは人口八千万、合わせて人口が十三億を大きく超える巨大な地域での発展として、世界の構造と様相の変化を引き起こす大きな要因となっています。それが、政治的にも、経済的にも、外交的にも、二一世紀の世界史の大きな意味を持つ流れとなってゆくことは、間違いないでしょう。

「社会主義をめざす国」の規定をめぐって

この問題ではいくつかの質問がありました。

一つは、“中国・ベトナムなどを「社会主義をめざす」流れと評価しているが、そこで起こっているすべてを肯定するのか”という質問であります。

私たちが「社会主義をめざす」流れ、あるいは「社会主義をめざす」国と規定するのは、その国が社会主義への方向性を持っていることについて、わが党が、わが党自身の自主的な見解として、そういう判断をおこなっていることを表現したものであります。

これまでにもいろいろな機会に説明してきましたが、この判断は、その国の政府や政権党の指導部の見解をうのみにしたものではなく、実証的な精神に立っての私たちの自主的な判断であることを、重ねて指摘しておきたいと思います。

わが党は、その国の人々が自ら「社会主義」を名乗っているからと言って、それを単純に受け入れて「社会主義国」扱いするという安易な態度はとりません。このことは、わが党がソ連問題から引きだした原則的な教訓の一つであります。どの国についても、それは、私たち自身の実証的かつ自主的な判断によるものであります。

この判断は、方向性についての認識・判断であって、その国で起こっているすべてを肯定するということでは、もちろんありません。改定案自身が、これらの国ぐにの現状について「政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも」と明記している通りであります。

ただ、他国の問題を考える場合、日本共産党は、社会の変革過程についての審判者でもないし、ましてや他国のことに何でも口を出す干渉主義者でもないことに、留意をしてもらいたいと思います。社会主義へのどういう道をすすむかは、その国の国民、その国の政治勢力がその自主的な責任において選ぶことであります。私たちはあらゆる国の状況について積極的に研究し、吸収する価値のあるものは吸収します。しかしそこに、自分たちのいまの考えに合わないところがあるとか、自分が問題点だと思っていることを解決するのに時間がかかっているとかを理由に、あれこれ外部から批判を加えるというのは、日本共産党のやり方ではありません。

私たちは、その国の政府や政党から公然と攻撃や干渉を受けた場合には、公然と反論します。そうでない限り、それぞれの国の国内問題については、全般的には内政不干渉という原則を守り、公然とした批判的な発言は、事柄の性質からいってもともと国際的な性格を持った問題、あるいは世界への有害な影響が放置できない問題に限るという態度を、一貫してとってきました。

これは、日本共産党が数十年にわたって守ってきた対外政策の原則であります。この態度は、いろいろな国、いろいろな文明との共存の関係を発展させるうえで、重要な節度だと私たちは確信しています。

もう一つの質問は「社会主義をめざす」国に北朝鮮をふくめているのか、という質問でした。七中総でもお答えしましたが、私たちが、現実に社会主義への方向性に立って努力していると見ているのは、中国、ベトナム、キューバであって、北朝鮮はふくめていません。

帝国主義論の新たな発展がもつ実践的な意義

第三の角度は、世界資本主義の矛盾の深まりであります。

経済的な諸矛盾については、綱領改定案は、第九節の冒頭で、世界資本主義の現状を「巨大に発達した生産力を制御できないという資本主義の矛盾」からとらえ、その代表的な現れとして、現実に世界で問題になっている七つの諸矛盾をあげています。ここは短いけれども非常に重要な部分であります。後でものべますが、この分析が、第五章「社会主義・共産主義の社会をめざして」における生産手段の社会化の必然性の解明にもつながるし、また、世界的な体制変動の諸条件の分析にもつながることになります。

つぎに世界資本主義の政治的諸矛盾の問題ですが、七中総の報告のなかで「独占資本主義=帝国主義」という見方が、現代の条件のもとでは一般的には成り立たなくなったこと、したがって、すべての独占資本主義国をその経済体制を理由に一律に「帝国主義の国」として性格づけることは妥当でないことを、指摘しました。これも二〇世紀における世界の様相・構造と力関係の変動のなかで、何よりも植民地体制の崩壊という大きな変動のなかで起こったことであって、そこをよく見ることが必要であります。

この点で、実践的に重要な問題として、二点を強調したいと思います。

一つは、政党が、ある国を「帝国主義」と呼ぶときには、その呼称・呼び名には、侵略的な政策をとり、帝国主義的な行為をおこなっていることにたいする批判と告発が、当然の内容として必ずふくまれているということであります。

そこから、改定案は、植民地支配が原則的に許されない現在の国際秩序のもとで、ある国を「帝国主義」と呼ぶためには、その国が経済的に独占資本主義の国だというにとどまらず、その国の政策と行動に、侵略性が体系的に現れているかどうかを基準にすべきだ、という立場をとりました。

これは現実の世界政治の分析でただちに必要になる基準であります。

改定案は、この基準で、アメリカの対外政策が、文字どおり「帝国主義」の体系的な政策を表していることを解明し、そういう内容を持って「アメリカ帝国主義」という規定をおこなっています。そうであるからこそ、綱領のこの規定は、アメリカの政策の核心をついた告発となっているのであります。

かりに、いまの世界で、「帝国主義」とは、経済が独占資本主義の段階にある国にたいする政治的な呼び名だというだけのことだとしたら、いくら「帝国主義」といっても、その言葉自体が政治的告発の意味を失い、そう呼ばれたからといって誰も痛みを感じないということになるでしょう。

もうひとつ大事な点は、この問題は平和のためのたたかいの目標と展望にかかわってくるということであります。レーニンの時代には、人民の闘争や情勢の変化によって、独占資本主義の国ぐにに植民地政策を放棄させたり、独占資本主義体制のもとで帝国主義戦争を防止したりすることが可能になるなどとする考え方は、帝国主義の侵略的本性を理解しないものと批判されました。実際に当時は、こんなことは実現不可能な課題だったからであります。

現代は、まさにその点で情勢が大きく変化しました。たとえば改定案は、「民主的改革」の方針の「国の独立・安全保障・外交の分野で」のところで、八項目の平和外交の方針を提起しています。その大部分は、レーニンの時代だったら、独占資本主義のもとで非帝国主義的な平和政策を夢見るものとして扱われたであろう課題であります。しかし現代では、これらの課題は、国際的な平和・民主運動のなかでも、実現可能な課題として、追求されているのであります。

これらの点をはじめ、綱領改定案にもりこまれた「帝国主義論」の新しい発展という問題は、現代の世界情勢の分析に、大きな実践的意義をもつことを強調したいと思います。

二一世紀の世界像をめぐって

つぎは、二つの国際秩序の闘争をめぐる問題であります。

改定案は、二〇世紀の重要な出来事として、国際連合の設立をあげ、それとともに、「戦争の違法化」が世界史の発展方向として打ち出されたことを、高く評価しました。国連憲章は、各国の内政には干渉しない、国際的な武力の行使は国連の決定による、各国の勝手な軍事行動は、侵略への自衛反撃以外は認められない、などの諸条項を定めましたが、これはまさに「戦争の違法化」という方針を具体化し、戦争を未然に防止する平和の国際秩序の建設をめざしたものでした。

この国際秩序は、国連憲章のなかで目標として宣言されてはいますが、まだこの地球上で全面的に実現されるにはいたっていません。この平和秩序を、めざすべき目標というだけでなく、世界の現実にかえることが、二一世紀の平和と戦争をめぐるたたかいの大きな争点になっていることを、正面からとらえる必要があります。

改定案は、この立場から、「国連憲章にもとづく平和の国際秩序か、アメリカが横暴をほしいままにする干渉と侵略、戦争と抑圧の国際秩序か」、この二つの国際秩序の選択という問題を、世界平和のたたかいの中心課題として提起しています。

この対決は、いま、ほとんどあらゆる国際問題で現れていますが、最大の焦点はいうまでもなくイラク問題であります。この問題は、文字どおり、世界の見方、国際秩序のとらえ方がもっとも鋭く問われる舞台となっています。

小泉首相は、自衛隊派兵の決定に際して、「国際社会」への貢献をしきりに唱えました。小泉首相がいう「国際社会」とは、アメリカ一国の利益を世界平和の利益のうえに置いた、アメリカ中心の「国際秩序」にほかなりません。

これにたいして、自衛隊派兵に反対するわが党や平和・民主勢力がいう国際社会は、多数の独立した主権国家と異なる価値観を持つ多様な文明によって構成されている現実の国際社会であります。この国際社会では、どんな超大国にも、自国の利益を世界平和の利益のうえにおく勝手横暴は許されないし、国連憲章にもとづく国際秩序が何よりも尊重されます。

「国際社会」という言葉は同じでも、その中身は、これだけ違っているのであります。

このように、イラク戦争をめぐる対決は、世界でも日本でも、まさに二つの国際秩序の選択が、二一世紀の世界政治の焦点だということを、もっとも具体的な形で日々に示しているのであります。

そして二〇世紀から二一世紀への人類史的な流れを的確にとらえるならば、二つの国際秩序のどちらが切り開くべき未来を代表し、どちらが前時代から引き継がれた過去を代表しているかは、すでに明らかではないでしょうか。(拍手)

以上、世界情勢の章についてのべてきましたが、最後に一言したいのは、改定案がここでのべている命題の一つひとつが、野党外交で私たちが得た胸躍るような実感の裏づけを持っているという点であります。(拍手)

二一世紀の世界の激動的な展開の方向を広い視野で見極めながら、国際分野での活動に取り組んでいきたいと思います。(拍手)